後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第209回「肩ポン」か「第三者」の介入か
2013-05-28
わたしたち人間はよいことをする代わりに悪いこともします。油断のならない存在です。
けんかや悪事が表に出ると仲をとりもつ人が出てきます。
大抵、仲間内の先輩か人格者で、こういう人に出てこられると集団主義の日本、仲介役の顔を立てないわけにいきません。
仲介者は当事者の肩をポンとたたいて「まあまあ」というので「肩ポン」とも呼ばれています。
大津市・中2の生徒がいじめを苦に自殺した事件は学校と市教委が「肩ポン」で、事件の沈静化に努めました。しかし報道の追求で「肩ポン」が機能しなくなりました。
オリンピック出場の女子柔道選手ら十五人が「監督の暴力についていけない」と日本オリンピック委員会(JOC)に告発しました。
告発先をJOCにしたのは柔道を束ねる全柔連がいつもの「肩ポン」で事を済ます危険があったからです。
しかし考えてみれば上部機構のJOCも同じスポーツ仲間。「肩ポン」の使い手に過ぎませんでした。
全柔連に再調査を命じ、「監督は暴力を認め反省している。戒告処分とし、監督の仕事は続けさせる」という報告に「やれやれ」と胸をなでおろしたのです。
ところが処分の甘さを報道に指摘され、仲間内の「肩ポン」で済まないと悟った全柔連はしぶしぶ監督の首を切りました。
昨年八月、オリンピック選手を含むスピードスケード選手十九人が「監督の暴力に遭っている」と米スピードスケート連盟に告発しました。
連盟は外部の法律事務所に調査を依頼、監督を職務執行停止にしたので監督は辞職しました。
またヤンキースのA・ロッド選手に薬物使用の疑いが出ると外部の米薬物取締局が登場、捜査を始めました。
またウォーターゲート事件の関与を疑われたニクソン大統領を調べるのに捜査と追訴権をもつ独立機関の特別検察官を立てて真相に迫りました。
仲間内の「肩ポン」を嫌い、第三者の介入で白黒を決める米国の伝統はまばゆいばかりです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。